熊野比丘尼とは


熊野比丘尼熊野映画を創る会facebookページより転載

熊野比丘尼(くまのびくに)とは、熊野三山に属した僧形の女性仏教宗教者です。

熊野比丘尼が活動したのは戦国時代の頃から江戸時代にかけて。荘園を失い、参詣者も減り、経済基盤が揺るぎだした熊野三山の運営資金を集めるために熊野比丘尼は諸国を巡り歩きました。

熊野比丘尼は、毎年年末から正月にかけて熊野に年籠りし、伊勢に詣でたあと、諸国を巡り、熊野信仰を布教し、熊野牛玉符(くまのごおうふ)梛(なぎ)の葉を配って、熊野三山への喜捨を集めました。

熊野三山のために勧進(かんじん。社殿などの造営修復のために寄付を求めて歩くこと)したので勧進比丘尼とも呼ばれ、「熊野勧心十界曼陀羅」などの「熊野の絵」を持ち歩き、その絵解きをして熊野権現の慈悲を説いたので絵解き比丘尼とも呼ばれ、また、ささら(竹を細かく割って束ねて作った楽器)を摺りながら歌念仏や流行唄をうたって人々を引き付けもしたので歌比丘尼とも呼ばれました。

熊野信仰を全国に広めたのは神主や巫女ではありません。
平安時代には熊野山伏であり、鎌倉室町頃には琵琶法師であったり、時宗の僧であったり、戦国時代には熊野比丘尼であったり。
異なる宗教の人たちや芸能者が熊野信仰を広めたというのは、神仏習合の霊場であった熊野らしいところ。
また女性が熊野信仰を広めたというのも女性の参詣を早くから積極的に受け入れていた熊野らしいところです

サイト名に用いた「牛玉箱(ごおうばこ)」は、熊野比丘尼が持ち歩いた箱です。中に熊野牛玉符や絵解きに使用した「熊野の絵」などを入れました。